クリスマスイブ




12月24日、クリスマスイブ。

あまり派手派手しい飾りをしないパリの街でも、
人の出歩く多さにその日を感じた。

フランス人は見事にみんな、家族とその時を過ごす。
あたり前の様に一家に一本モミの木を賈って帰って、
あたり前の様に鳥を一匹丸ごと賈って帰って、
あたり前の様に赤ワイン、シャンペンと、
そして、あたり前の様に片手にはおおきなブーケ。

今では芸能人をはじめ、いろんな人たちがおのおのの目線で
パリの魅力を語り、本を書き、写真を撮る。

街も、人も、暮らしも、
何をとってもやっぱり魅力的なんだ。

有り難いことにパリに来てからも良い仕事に恵まれ、
良い人たちとたくさん出会い、
たくさんの悩みをもってやって来たぼくは、
だれよりも幸せを感じる、そんな日々を送らせて頂いている。

この街に出会えなければ、ぼくは1つ大きな幸せを見ないままに
過ごし続けていたかもしれない。
1つどころではないかもしれない、毎日人との出会いに学んで、
ものの見方を変えてみたり、我慢をやめたり、
辛抱強くなってみたり、
きっと日本を出る前のぼくとは考えが変わったこともたくさんあるだろうし、
日本から大切にしてきたものへ、より一層の確信も芽生えた。

自分のペースで生きるというのは、生きていく上で一番大切だとも想った。
自分勝手にという意味ではなく、自分らしく常にいれるということ。

そんな自分の中での変化は、もちろんお花にも変化を与えた。
揺るがないものを得たと言うか、
自分の中にあるものが大切なんだと言う実感。

言葉では難しいけれど、それをぼくの生き方で、
表していきたい、それが今、自分が一番望むものであり、
ぼくを求めてくれる人たちに伝えていきたいこと。

さて、1月に日本に帰ります。
その際,キカさんにてちょっとしたレッスンを催していただきます。

詳細はまたお知らせしますが、
ご都合があえば、是非お越し下さい。

素敵な時間をご一緒に過ごせればいいなあとおもいます。

では、素敵なクリスマスを。
JOYUEUX NOEL!



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あなたがそこにいるだけで
神戸に居た時の、六甲アイランド。
大阪に住んでたときの、豊里大橋と、淡路駅の商店街。
オーストラリアに住んでたときの、コテスロービーチ。

長い時間住んでいたその場所場所に、
かならず自分が、それ見るだけでほっとする場所、ものがある。



ぼくにとって、今、それがエッフェル塔。
ミーハーなことを、と思われるかもしれないけれど、
散々辛い想いをした1日の終わりや、
遠方に泊まりがけで仕事に行っていた帰り道、
配達の途中でふと横切ったときも、
寒い中、友達とみんなで塔の麓でそれを見上げてお酒を飲んでるときも、


なんか、ほっとするんです。
ずっとかわらずに、今日、今もこうして佇む、
エッフェル塔を見ているだけで、
もうちょっとがんばれそうな気がしてくるのです。

それは、神戸に居た時、悲しくて、ひとり夜に、
六甲アイランドに車を走らせて、ベンチに座って、
コーヒーとタバコを持って、六甲の山を見ていた、
あの時のそれ。

彼女と別れた時に、ずっとぼんやり突っ立っていただけで、
いつのまにか癒された、優しい豊里大橋のすがた。

そう。住みたい町に住んでいるというのは、
きっと、そこには自分を元に戻してくれる、
そんな風景があるのです。

今夜も彼はキラキラ輝いています。
明日からまた新しい一週間が始まるけれど、
負けじと、ぼくもキラキラ輝いてやろうと思うのです。





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untitled
実のところ、自分が本当はなにを求めていて、
そのためにはだれ彼のためにどう生きて、
自分の人生のためにはどの方へと向かえばいいのかなんて
あまり分かっていない。

だから、その瞬間瞬間で、たくさんの人達に迷惑もかけ、
助言を受けても、やっぱり自分の道を歩いて失敗もして、
頭を打って、そこでようやくそれが違う道だと分かって、
もう一つの道を辿ってゆく。

むかしからその生き方は少しも変わらない。
不器用だと周りからはさんざん言われて来たけれど、
なぜそれでもこの生き方を変えないのか、分かりますか。

ぼくは人間臭い生き方が好きなのです。
ダメなところも、いいところも、情けないところも、
一粒の魅力も、全部全部さらけ出して、
目の前の自分をひとつひとつ拾って歩きたいのです。
おかげさまで、お叱りを受けることの多い人生ですが、
有り難いことに、そんなぼくを知っている方ばかりで、
みんながあたたかく怒ってくれるのです。

しかしながら、パリに来てから、ひとつだけ、
目標を立てていることがあります。
このまま花屋として、または職を変えざるを得なくなったり、
はたまた再び運命の仕事に出会うかもしれないけれど、
どのみちを通っても、ぼくはこれからもパリで生きていきたいと
思っています。ずっと、おじいさんになっても。

夕方のパリには、素敵な老人達が、
待ち行く人の足をとめて、しばしの幸せな時間をくれます。
ノートルダム寺院の後ろからサン:ルイ島に渡る橋の上では
長年の悪友がジャズを奏で、そのころモンマルトルの丘の上では、
ヴェスパで大きなオルゴールを引いてやってきて、
それを奏でながら歌う年配の女性。

そこには、かれらの今までの生きて来た人生は映っていません。
あるのは、年老いても、いまを楽しむ彼らの瞬間。

このまちでぼくもそれを作っていきたいのです。










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旅のこころ
銀色夏生の詩にこういうのがある。

  あの味

「あの味というのは二度とない
 あるのは似た味

 あの時というのも
 二度とない
 あの頃もない

 あるのは今とこれからだけ」

先週までバカンスをいかして、近隣国イタリアに行って来た。
数在るヨーロッパ諸国の中でなぜイタリアにしたのかと言うと、
ひとつは、イタリアでのお花のあり方を見たかったのと、
(くわしくは、花屋アイロニーのブログにて http://www.illony.com/)
もうひとつは、コロッセオを初めとする、2000年を越える歴史を持った
古代の建造物を間近でみて、その時代を感じたかったのがある。

旅というのは、不思議なもので、
いつも以上にこころが澄み渡り、さまざまな文化を吸収しようとして
どんな異文化でも自然に体が順応していく。
そうして旅が良いものになればなるほど、その旅の終わりには、
その時間がなくてはならないものになっていて、
その間に食べたもの、交わした会話、出会った人々、街、空気、
そのすべてがいつまでも自分に続くことを望んでしまう。

そう言う意味で、イタリアは、本当に、ぼくの心を掴んでしまった。
底抜けに陽気な人達と、なにを食べてもおいしい料理と、
歴史と今が混ざり合ったような刺激的な街と、
その地で出会った人達との時間。

もうあの瞬間はないのかと思うと、心寂しくもなる。
だから人はまた旅に出るのだろう。
そんな幸せを知ってしまうと、居ても立ってもいられない。
たびのこころというものか。

さて、イタリア旅行中、噴水や泉がとても多いことに驚いた。


しかもそのすべてに、見事なまでの彫刻が施されていて、
噴水というものを見て楽しめることにとても感動した。
とくに4つ目の写真、トレビの泉は、その彫刻はもちろん、
流れる水の様から溜まっている水の様子まで、
すべてが芸術品で、うっとり見とれてしまった。

ローマの街は、昔からの石畳が残っていて、

建物との間を通るその道の端に停めてあるイタリア車が、そこにあるだけで
絵になる雰囲気がある。



建物を見上げれば、街灯にさへ小粋な装飾がしてある。



ふと迷い込んだ人気のない、道を歩いていると、
いかにもこだわった感の在る車が停まっていた。

そのくるまは、あるお店の前にあった。
看板を見ると、どうやらアンティークを扱うお店のようだった。
どうりで、その車の雰囲気にもうなずける。

店の主人はどうやら、かなりゆっくりした昼食に出たらしく、
待てども待てども結局帰ってこなかった。
なのでとりあえず窓の外から写真を撮らせて頂いた。



まちには笑い声が溢れている。
広場の多いローマでは、即席のデッサンをする人達がテントを張っている。
覗いてみると、綺麗に描写したものや、デフォルメしたものなどがある。
ある男の子がかなりデフォルメされてデッサンを受けていた。

人見知りがあり、なかなか笑わないこの男の子を、
周りを囲んだお客さんが必死になって笑わそうとしている。
笑いたそうにしているけど一線を越えないこの男の子に、
ぼくは猪木の顔まねをして「アイーっン」てしてみた。
笑いでプルプル震えて、とうとううつむいてしまった、その写真である。

街角の芸人を撮ろうとすると突然ピースをして入って来た、女の子。


みんな太陽の様に明るい。
レストランの給仕も、店の店員も、ホテルのフロントマンも、
電車で偶然隣に座ったお姉さんも。

そういえば、イタリア料理は本当においしかった。
ラザニア、ピッザ、スパゲッティ、肉、魚料理、ミラノの黄金リゾット、
シーフードリゾット、ティラミス、コーヒー、ビール。
心温まる思い出と重なって、その味は今も心から離れないでいる。

パリに帰ってからのここ3日間、
忘れられない恋人を思い出す様に
ずっとパスタを食べ続けているぼくを満たすものは
おそらくいつかまた訪れるこの地への旅なのだろう。


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いつもそばにいてくれる男
待ち合わせたところで来るはずもなく、
寂しい夜でも家まで来てくれる訳でもなく、
優しい言葉をみんなに掛けては、
その温和な人柄で、たくさんの人に呼ばれているだろうから、
自分の心の中でしか逢えないのだけれど、

なぜかそばにいてくれると想わせる男。
イエス:キリスト。

ぼくは、こんな男にになりたい。
仕事バカで、趣味は一人で夢中になり、
まわりには、特に余計な気も掛けないのだけれど、
相手にとっては、なぜかその存在や、数少なな言葉だけで
安心してもらえて、
遠くても近くても、なぜかそばにいて守ってくれる人だなあと、
そう想われる様な、キリストのような男に
なりたいと想うのです。

話はかわって、ぼくはよく教会に足を運びます。
信仰ではなく、彼に会いにいく訳でもなく、
ただただその場所が落ち着くからです。
とくに、パリに点在する、いくつもの教会は、
それぞれが、大きくても小さくても、その独特の雰囲気を持っていて、
古びた匂いと、歴史を刻んだ装飾が、
こころを休めにやって来たぼくをより癒してくれるのです。


なかでも、フランス最高の芸術、彫刻は、
いかなる絵画よりも、そして存在する人間よりも、
ときにそれを見る人のこころを強く惹き付けます。


ものを作るとき、ぼくの場合は、花の仕事だけれど、
その届ける先の風景や、その花を置いた後の暮らしの情景が
頭にぼんやりと浮いて、それを思いながら作るのだけれど、
それがより鮮明であればあるほど、その想いが強ければつよいほど、
内容も、出来上がりも、格段に違ったものになるのです。


これらの彫刻を彫って来た職人達は、なにを想って、
どれだけの強い想いと、集中力で、こんなにもおおきな命を
吹き込んで来たのでしょう。
それを想うだけで、この場に居る時間がかけがえのないものになるのです。


ここは、パリの、Église Saint-Sulpice(サン:スィルピス教会)。

パリで一番好きな教会の一つです。

教会内に点在する彫刻、壁や天井に描かれた壮大な絵画、

大きなろうそくをのせたまぶしいばかりの燭台、

巨大なパイプオルガンを囲む、木で彫られた彫刻、

天井から太く長い線で吊るされたシャンデリア、

ステンドグラス、もう数えられない年月の間、人々が
祈りを捧げてきた椅子、石畳、

そして、いつもそこにあるように飾られている、花。

ここにくると、いつも無理をしている自分に気づいて、
頭のなかをリセットできるのです。
こう成らなくてはいけない。
厳しい花屋の環境の中、常に頭の中では変化を求めていて、
そんな中、ただただ無理をしていることや、
余裕をなくしている自分にきづかなくなっていたり。


そんな時に、この教会にやって来て、
椅子に座って、彼を眺めて、
教会を見上げて、大きく息を吸って、吐いて。
そして、目を閉じて、成りたい自分を想う。
そうしていると、いらないものがとれて、
いるものが鮮明に見えてくるのです。


教会を出る頃にはいつも自信で満ちあふれています。
何でも出来そうな、なんか起こりそうな。

これが、いい仕事をするための、ぼくの大切な時間。

いつか彼の様ないい男になるために。
なんせライバルは、
かの偉大なイエス:キリストなのですから。










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世界は繋がってるんだぜ


あまり興味のない方には、申し訳ない内容の今回。

メトロの交通費も馬鹿になんないなあ、と予々思っていた今日この頃、
とあるフランスのブロカントのホームページで、
80年代の50ccのバイク、suzuki zr50slが3万円ほどで、
中古ではあるが売りに出されているのを発見した。


普通の原チャなら、あまり興味がないのだけれど、
見た目がかなりイカしている上、値段もお給料で買えそうなら
これを機会にバイク通勤になろうと思い、
早速売り出している主とランデブーを取った。

内容を聞いていると、どうもかなり調子は悪い模様。
是非この目で確かめたくなった。

住所を聞くと、これまたパリから特急で1時間の田舎の外れと言う。
よし、今日は日曜日だし、掃除、買い物、洗濯を済ませたら
いそいで行こうと決め、手際よくそれをこなして、
電車に乗った。

進むに連れて、景色は、都会のそれから、久しぶりに見る
田舎ののどかな風景に変わった。


約一時間後、5月なのに、焼けるような日差しの中、
その目的地の駅に着いた。
失礼が無いように書きたいが、ボクの友人で、
三田市の山奥に住んでいる男の家の近くの駅にそっくりなほど、
周りに何にも無いところであった。


携帯電話で、着いたことを知らせると、10分少々でその男性は現れた。
ぼろぼろの車から降りてくると、わざとらしいほど足を引きずって歩いて来た。
なにやらサッカーのユニフォームらしき上下を着ている。
スパイクまで履いている。
なんなんだ、この人、と、思って話を聞いてみると、
「いやー、今朝のサッカーの試合でこけちゃって、へへへっ。」
と、顔をくしゃくしゃにして笑い始めた。
どうやらとてもいい人らしい。

その彼の車に乗って、3分ほど走ったところに
彼の住むアパートがあった。
周りを小さな山に囲まれた、憩いの施設のような
のんびりしたところで、我々は降りた。

こっちこっち、と、彼は地下の入り口になっている壊れそうな
古い扉の施錠を開け、中に入って行った。

入ってみると、洞窟のような細い道が延々奥へと続いていて、
このまま誘拐されてしまうのではないかと思うほど、
牢屋のような扉の並ぶ地帯へと入って行った。


この景色、見たことある。ボクは思った。
あ、そうだ。映画の「クリムゾンリバー」で、
ぼくの憧れの俳優、ヴァンサン:カッセルがこんなところ歩いてた気がする。
そう思うと、なんかうれしくなってきた。

間もなく、われわれは、その道の一番奥へとたどり着いた。
そこには、今か今かと、ボクの来るのを待っていたと言わんばかりに、
少しほこりをかぶって、でもキラキラ輝く、suzuki zr50slが
眠っていた。


「Ca marche bien?」 ちゃんと動くのか一応聞いてみた。
「Tu veux essayer ca dehors?」試してみるか?と聞くと、
彼はポケットをもぞもぞし始めた。
「あれ?あれ?無い!何処いった。あれ。おかしいなあ。」
と、あきらかに鍵を無くしたっぽい様子。

ちょっと待ってて、とだけ言い放って、
このクリムゾンリバーに出てくる修道院の地下通路の中、
ひたすら待つこと30分、彼がまた足を引きずって戻ってきた。

「良かったー、あったー。」みたいな感じで、
鍵をちらつかせる彼。
もういいから、早くして、と、言わんばかりに、
首を横に振って、あきれ顔を見せると、
少し急ぎ足で鍵を外して、外へと運び始めた。

さて、エンジンかけますか!みたいに大きな声で気合いを入れると、
「キュルキュル、、プスン、、ゴロゴロゴロ、、」
変な音を立てて、反応しないsuzuki zr50sl。

ちょっと待って、と言って、何やらエンジン付近をいじくって、
「エンジンかけてみて。」と、ひと言。
ぼくは、スターターに足をかけて、それを振り下ろした。

「ブーン!ブブブーン!」
モクモクと変な煙は出ているものの、イカした音と共に
エンジンが動き始めた。

「ちょっと、乗ってみていい?」と、聞いて、
その辺を軽く一周してみた。
50ccとは思えないほど座り心地もよく、
よく晴れた青空の下、ぼくはのんびりと
その辺を走って廻った。


「この煙がかなり気になるけれど、気に入ったよ。」
と言って、来週までに考えて、次の日曜日に
また来る約束をして帰ってきた。

帰りの車中、今日半日の出来事を振り返って、楽しくなった。

こんなフランスの田舎町に、ぼくがこの年、この月に
出会うべきバイクが、いろんな人の手に渡りながら、
待っていたと思うと、出会いって面白いなあと、
単純に感動した。

今、生きている回りにある物だけが、自分の人生をともにする物じゃない。
きっと探せば探すほど、動けば動くほど、
この広い世界の中には、自分が出会うべき物が
まだまだたくさんあって
ぼくが現れるのを今か今かと、今日もどこかで待っている気がする。




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おとこのこ


英米の童謡「マザーグース」の有名なうた。

「おとこのこって なんでできてる?
 おとこのこって なんでできてる?
  かえるに かたつむりに
  こいぬのしっぽ
 そんなもんでできてるよ

 おんなのこって なんでできてる?
 おんなのこって なんでできてる?
  おさとうと スパイス
  すてきななにもかも
 そんなもんでできてるよ」   谷川俊太郎訳

を、小学校のときに通っていた英語の教室で
初めて読んで以来、頭の中で、ぼくはいつも、
男の子を作る要素でもっとイケてるものを探して、
それをうたにして納得するという一人遊びをしていた。

「おとこのこって なんでできてる? 
 おとこのこって なんでできてる?
  うんことおしりと
  ちんちん
 そんなもんでできてるよ」

と、まあ小学校のときなのでそんなレベルではあったけれど。

さて、話はパリに戻って、今日はバンブーの蚤の市に。
部屋を灯す小さなスタンドランプが欲しかったのだが、
家の近くのクリニャンクールは、やはり物価が高く、
よほど気に入ったものしか買えないと改めて思ったので、
今日は絶対に見つけて帰るつもりで足を伸ばしてやってきた。

まず、入り口近くに、バンブーでお馴染みの「あしながおじさん」が
出店している。明らかに意識していると思われる、
映画「私のあしながおじさん」の大きなポスターを車の
ドアに貼付けて、今日もたくさんの人に囲まれていた。


どのブースも露店とは思えないほど、お洒落なテーブルや棚を駆使していて、
バンブーの蚤の市は独特なスタイルを作っている。


何処か個性的で、でもかわいい絵画、
使い方の分からない、というか使えないと思われる部品の数々、
かわいいのはとっても良くわかるけど、でもめちゃ高いボタン、
片方だけのくつがどっさり、
このおばあちゃんだけは、ほんとうに自分のいらなくなった物を
売りに来てるなあと思えるほど、激安の家具類を売るおばあちゃん、
そして、大したものを売りに来ていないけれど、そんな仲間と集まって、
ワインを飲みながら、即席のテーブルでトランプに熱くなる男衆。

本当にのんびりしていて、気持ちのいい蚤の市である。



ちょうど真ん中あたりに行くと、市の道がL字に曲がっていて、
小さな広場があって、そこに露店車の即席カフェが出ている。
そこのクロックムッシュがかなりおいしい。
5euroと少し高めだけど、パンの焼き加減、中の具、チーズの量が
この関西人の舌を唸らせる。

それを食べながら、たまにこの広場で演奏をしている
即興ピアノマン、立派な髭のおっちゃんにしばし見とれる。



さて、その先を歩いていると、露店販売の免許を持たない人たちが
企画区外の橋の上で御座を引いて、なにやら盛り上がっている。
この区域は、みんなが好きなものを持ち込んでいるので、
本当にまとまりがないのだけど、ごちゃごちゃし過ぎていて面白い。

携帯電話の電池、カバーが取れて配線むき出しのラジオ、
この時代にまだ使っている人が居るのかと思わされる、山のような量の
音楽のカセットテープ。(しかも、アラブのものと思われる。セリーヌ:ディオン
とかもある。)、アンティークの釘ならまだしも、新しいネジが単品、
ぜったい日本人にもらったと思われる浅草と書いたちっちゃいマグネット、
で、また片方だけの靴のぶーす(流行っているのか)、
で、普通にユーロの小銭(1ユーロを何ユーロで売るつもりなのか)などなど、
もはやルール無用のお祭り地帯である。

しかし、ここで、思わぬお宝に遭遇。
思い描いて来た大きさ、形、シンプルさのスタンドランプを
発見した。しかも、この地帯である、絶対に安いに違いない。
ただ、これが本当に点くのかとても心配になった。

「Monsieur, ca marche bien?」動きますかと聞いてみると、
「Eh bien, je ne sais pas..」さあ、どうだかという返事。

見たところ、古すぎず、壊れてなさそうだし、
値段も15ユーロとのこと。
だまされたと思って買って帰るか。点けばかなりラッキーだし。

ということで、12ユーロにしてもらい、無事我が家に
新しく仲間が加わったのである。


跳ねるように家に戻って、テーブルの上にそれを置いた。
しかし、電気をつける喜びは夜まで取っておくことにした。

やがて日も落ち始め、辺りも暗くなって来たところで、
興奮を新たに、コンセントをさして、スイッチをカチッと、入れた。


ポッと、そのやさしい光は、部屋の色をあたたかなクリーム色に変えた。
ランプひとつで、部屋はがらっと変わるものである。
あの殺風景だった部屋が、突然お洒落なアトリエに変身した。

こう成ってくると、気分も良くなる。ロマンチックにも成る。
家の雰囲気は、暮らす上で大切な要素である。
思いつく言葉も、どこか詩人じみてくる。
今ならマザーグースのうたでも、イケてるおとこを作れる気がした。



「おとこのこって なんでできてる
 おとこのこって なんでできてる
  おっきなゆめ すこしのなみだ
  すずらんのはな
 そんなもんでできてるよ」

パリにもようやく、あたたかな5月が来ました。

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愛の貴公子
次から次に生み出される新商品とアンティークとの決定的な違いは、
出会えるか、出会えないかの違いにあると思う。

ようやく部屋も決まり、少しずつではあるが、
自分の好きな物や家具で飾っていけたらと思い、
毎週のようにいろんな蚤の市や、ブロカントに足を運ぶが、
このタイプのこれといった物になかなか出会えないでいる。
もちろん価格との問題もあったりもするが、
ぜったい妥協せずに集めようと思っているので、
余計に範囲が狭くなっているのは確かである。

そう言えば、昨日、車でお花を配達していて、
マレ地区の細い路地を走っていたら、無印良品があった。
ウィンドウには、あの無印独特の、どの部屋にでも合いそうな色、形のミニソファーが
ディスプレイしてあった。
値段もまあそれなりに手頃である。

なかなか恋が出来ないでいるときに、ひょっとしてこの人かもと、
少し心が揺らいでしまう、そんな感じである。
実は、この後に、人生を180度変えられてしまうような出会いが待っているのに、
今抱きしめてもらいたいと思っている心をぐっと我慢できずに、
フラっと、行きずりの恋に落ちてしまいそうになる、それである。

ぼくは、ぐっと我慢して、無印の前を立ち去り、
そして、今日日曜日も、部屋に合いそうなアンティークの恋人を探している。

昼から雨が降りそうなので、朝一番に洗濯、掃除、買い物を済ませて、
その足で近くのクリニャンクールに来た。



すごいkicaさんみたいな雰囲気のお店があったので入ってみた。



お店を見て回っていると、本当にkicaさんにいるような感じになってきた。



ところどころ奇妙な人形の腕だけのコーナーとか、
足だけの箱とか、キューピーちゃんみたいな人形の頭だけとかを飾っていて、
おそらくそれがかわいく落ち着かせないスパイスになっているようにも感じた。




外の路地にも、きれいに陳列された雑貨の盛られた木箱、ブリキ箱がたくさんあった。


ふと、レジ脇のアンティーク棚の端っこに、エッフェル塔のモチーフが彫られた蓋の、
ちいさなアクセサリーケースを見つけた。
かわいすぎず、おとなしすぎない箱のフォルムと、大人っぽい焦げ茶の色が
何とも言えない色っぽさを醸し出していた。


一目惚れをしたので、早速交渉して、10ユーロまけてもらい、購入した。
家の鍵が、行き先がなく、テーブルに転がっていたので、
ようやく家を見つけてあげられた。

さて、話は全然かわるが、
ジョニー:デップが愛の貴公子を演じた1995年の作品、「ドンファン」のなかで、
このロマンスの男、ジョニー:デップが名言を吐く。

「天で生まれた魂が何かのはずみでふたつに割れ、
 大空を流れて落ちる。
 そして離れ離れになった魂が地上で再びひとつになる。
 それが ”一目惚れだ”」

まったく同じ事を、どの恋愛でも感じてきたが、
それなら落ちる際にふたつではなく、無数に割れてしまったということか。
ということは、まだまだ割れた魂に出会う可能性もたくさんある。
そんな事を考えながら、地下鉄の窓越しに見えたすてきな女性にも
小さな運命を感じてしまう今日この頃である。



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雑貨を好きになった理由
こんにちは。
パリと世界の雑貨日記は、ぼくが花屋の仕事の休みの日の日曜日や、
夏のバカンスに、パリの蚤の市や、近隣国を雑貨を目指して旅をする、
ボクにとっては、大好きな趣味をkicaさんに取り上げて頂けるうれしい企画です。

とはいえ、ボクの個人的な好みに偏りがちな内容になることは間違いないので、
気軽に見て頂ければうれしいです。


さてさて、第一回目は、ボクの住むアパルトマンがあるモンマルトルから
歩いて10分ほどのところにあるクリニャンクールのアンティーク横町です。

数あるパリの参考書には、どれにも蚤の市と書いてありますが、
間違いなくあれは横町です。
言ってみれば、梅田駅のマクドの横の小道を入っていったところにあるような横町です。
いや、もう少しお洒落かな。



今回は、何年か前から日本の雑貨屋さんでも見かけるようになった木や鉄のハンコのお店です。

ここの女性のオーナーはとても気が良くって、写真を撮りたいと言っても
ニコニコして「いいよ。」と言ってくれます。


イタリアに行っても、フランスの雑貨屋さんを見てても想うのは、
その雑貨を使ったディスプレイが、本来の用途に合っていなくても
とてもかわいく飾られているということ。


これはこういうものだから、こういう風に飾らなければいけないというものがなくて、
どこか、それを使って遊んでいるような感じさえ受けます。
そんな遊び心が詰まったディスプレイの中では、
雑貨達もとても生き生きとしていて、アンティークという概念が変えられます。


ぼくが、雑貨を好きになったのは、それにはいく通りもの使い方があること。
特にアンティークのそれは、置いているだけでそれらが生きて来た時間の息吹と、
それらがその家や、部屋の空気を変えていく瞬間に、
とても魅力を感じるのです。


以前、知人のアンティーク屋さんにもらった100年ものの時計があります。
昔々、オーストリアのジプシーが、その旅の暮らしでずっと使っていたという
とても歴史と物語のある時計です。

ぼくは、それを自分のお店であった「6contents」にかけていました。
ネジ巻のそれは、一日に10回は止まりました。
角度が3度変わると、止まるのです。
でもそれが、ぼくには愛おしくてたまりませんでした。
雑貨が生きていると感じたからです。

ここパリには、そんなアンティーク達がたくさん眠っています。

ぼくの雑貨の旅は、そんな雑貨達に光を当てて、
皆さんにご紹介する、そんな歴史と物語の旅です。










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